虹をつかんだ男のココだけの話「マインド」

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11/5、6の第2回合気練功塾全国強化合宿においては、技術指導の他にも、合気上達のための心持ちについても大切なことを学んだので、今回はその事に触れておこうと思う。

それは、「掛ける人」と「掛けられる人」という安易な役割分担の撤廃である。
しかし、実際問題として、2人でやっているので、「掛ける人」と「掛けられる人」の役割分担しかない。
だから厳密に言えば、役割分担を変えるのではなく、役割を担う人の心持ちを変えるという事になる。

どういう事かと言えば、何も考えずにやれば、「掛ける人」は「ただ闇雲に掛ける人」になり、「掛けられる人」は「掛けられるのを只々待つ人」になってしまう。
この人達の共通点は“自分勝手”であるという事なのだが、それも無自覚な“自分勝手”なので、自分のおかしさに気付けない。
だから、相手が動きたくなるような努力もせずに無理矢理動かそうとしたり、技を掛けようとして頑張っている人を前に、ぼーっとして物思いに耽ったり、自分の番ではないと休憩したりするなど非協力的な振る舞いを当たり前にする。
当然、この2人で練功を積んだとしても合気が上達する事などあり得ない。
これは、別にここに限った事ではなく、どこの組織もそうである。
合気を習ってきた人と合気を使える人の比率を見れば一目瞭然であろう。
歴史が証明しているのだ。
上手な人と組んでやれる場合、上手くいかなければ、その人がお手本示してくれ、手取り足取り教えてくれるだろう。
それが上達にとって理想なのは間違いないが、この現実においては妄想に近い。

だから、私のような、センスの無い人間も上手になるためには、今までとは違ったマインドが必要なのである。
それは相手を思う気持ち、“配慮”である。

合気は、そもそも順番とか役割などが存在しているわけではなく、2人共が同時に掛かっている状態である。
だから、相手と繋がっている事が大切で、繋がっていなければ動いてもらえないし、繋がりたいならば、ぼーっとしている暇など無いのだ。
「掛ける人」は、合気の原理を理解し、それに沿って丁寧に掛けなければならないし、「掛けられる人」は、掛けられている時の感覚を覚え、たとえ「掛ける人」のお膳立てが少々粗くても、そこを自分で補って、自発的に「掛かれる人」になる必要がある。
「お互いがお互いの立場を知り、考え、行動する。」というわけである。
その積み重ねを経て2人共に上達する。

このように2人が相互に相手のことを思い、相手の上達を自分の事のように喜ぶ。
これが「楽しい達人集団」になる土壌となる。
私も乗り遅れないようにしたい。

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