2020年 6月 の投稿一覧

Tスタイル ~合気練功の日々~ 「再開!再会!肩痛い!」

 新型コロナウイルスの影響で活動を休止していた合気練功プロジェクトが、名古屋の地で6月から再開されました!塾長を筆頭に院生、研究生、塾生も、まだ手探りの状況ではありますが、合気練功塾の新しい活動の在り方を求めてスタートを切ることができました。東京、大阪、福岡の皆さんも徐々に活動が再開されると思いますので、しばらくお待ちくださいね。

 そんな希望に満ちた時期だというのに、右肩に突如痛みが‼40肩?50肩?60肩?

 もともと左肩は一度ぶっ壊れて(ぶっ壊されて?)いるのですが、ついに右肩まで(涙)トホホ・・・

 しかし、怪我の功名とはこのことなのでしょうか。力が入らない分、背骨や身体の内部を意識して動かしてみると今までとは違う感覚が表れてきました。「これは神が与えた試練か?神は乗り越えられない試練は与えない!」(ドラマのJIN ~仁~ 参照)と勝手に思い込んで練功に励んでいる毎日です。

 考えてみれば、達人は常人とは違う部分で勝負している訳ですから、今まであった部分(筋力やスピードなど)を捨てることから合気の道は開けるといっても良いでしょう。高齢ドライバーの能力の低下を支援する様々な機能がついたサポートカーが注目されていますが、合気は足らない面を補うどころか、それ以上の能力を発揮する無限の可能性をもった存在だと思われます。

 近い将来、合気練功プロジェクトに、武術部門だけでなく、医学・整体部門、福祉・介護部門などが誕生するのも夢ではないと思います。皆さん、杖を突いた達人集団をめざしてがんばりましょう!(実はこの杖という言葉が最新の合気練功のトレンドなんですよ!単に足腰が弱ったおじいの集まりという意味ではないんですよ!)

 実は私も折りたたみの杖(護身用)を以前から持っています。その他にもツボ押し棒(護身用)、折りたたみ傘(護身用)なども時折バッグに忍ばせておりまして。フフフ。(おぬしは何者じゃ!) 

 物騒な世の中なので皆さんご用心を!                    TAKA

 

 

 

 

空をつかむ「無意識」

からだの内部感覚を養う初期段階として、引き続きゴム感覚に意識してみている。

少し前までは実際にゴムをもって引いてみることでイメージを膨らませていたが、最近ではゴムがなくてもからだ全体に作用するイメージができるような気がしている。(できているかどうかは別として…)

ただ自分の中で間違っていたことのひとつとして、ゴムをイメージする際に、ずっと「一本」で考えてしまっていた。

練功塾でも「相手の足から一本のゴムを」という表現で教えていただいたこともあるが、その表現に自身がとらわれすぎ、特に対人で行おうした際に、相手から自分の「一本のルート」で考えすぎるため、接点以外の自分自身の他の部分への意識が途切れ、結果からだ全体の弾力もなくなってしまうのではないだろうか、ということ。

練功塾では、最初にからだを作ってからだ全体の弾力を…と常に言われているが、接触があった瞬間に別の意識に「無意識」になる。触れたりつかまれたりの変化があっても、それに意識をとらわれず作ったからだを無意識に維持するのが大前提でこれはなかなか難しい。

しかしこれは武道やスポーツでも同じで、からだの良い状態をどんな状況でも維持できるのは大きな要素のひとつで、自身もこれまで意識をしてきたことだが、練功塾でもっと繊細に意識できたことだけでも自分にとっては大きい。

武道やスポーツなどを続けている方でからだの使い方や力の伝え方でなんとなく疑問を抱いている方こそ一度体験してみていただきたい。

by kaz

虹をつかんだ男のココだけの話「被害に遭わないために」

私は、今まで沢山の合気関連の動画を見て来たのだが、それらの動画にはお約束のようによく出てくるシチュエーションがある。

それは、弟子同士が技を掛け合っていて、何度やっても技が掛からず、しばらくすると、そこに指導者が現れ、片方の人の身体に触れ、軽く操作すると、あれ程掛からなかった技がいとも簡単に掛かるのだ。

あたかも神業のようで、師匠と弟子の技量の違いが際立つ場面である。影響を受けやすい私は、それらの動画を見て、「あの先生にお会いして教えを乞いたい。」「あの技術を手に入れる事が出来たらさぞかし楽しい事だろう。」と夢に胸を膨らませ、セミナー会場へいそいそと出かけて行ったものである。

しかし、このような動画を作っている者に、その技術を教える気などはそもそも無い。もちろん、結果はご存知のように満を持して待ち構えていた網に掛かり、絡め取られるのが常であった。

実際にこれらのセミナーに参加すると動画と同じような場面に遭遇する。一人でやろうとした時は相手にたやすく阻止されるのだが、指導者に自分の身体を操作されている時は、おもしろいように技が掛かるのだ。

その結果を踏まえ、問題点を自分なりに探していると、親切そうにこう囁く。「この角度で。」とか、「タイミングが違う。」とか、「触れ方が悪い」とか。 しかしながら、もしそれらの事を完璧にこなしても一生技がかかる事は無い。

なぜなら、この問題の本質は、「自分の足裏から相手の足裏まで繋がっていないから。」である。

これらの感覚は視覚や触覚などの五感でカバー出来ず、訓練無しに習得することは不可能な内部感覚である。そして、この感覚を知らない者が、他者のアドバイス無しに気づく事は有り得ないものである。

その本質を知りつつもひた隠しにして、自分はこっそり繋がりながら現象化し、さも他に問題があるように誘導する。そして、早期習得を掲げていたはずが、いつしか「出来なくて当たり前、何年懸かってでも出来れば儲けもの。」などと平気で言いだす始末。

出来ない者にとっては、合気というのはとても敷居が高く感じ、「出来ないのは自分のセンスがないからだ。」とか、「未熟な自分が悪いのだ。」と自然と自分に原因を求め易い。

こうして自己肯定感をどん底まで下げさせ、自分の無能さを思い知らされる。そして思考停止状態にした者を懇親会と称した仕上げの場で、取り巻きの太鼓持ちと一緒になって洗脳し囲い込む。

その結果、何年もお金を払ってくれる被害者を量産する。やり方がとても巧妙でいて悪質、詐欺師と呼ぶ以外に呼び名が見つからない。

私のような被害に遭われた方、又は、私のような被害に遭いたくない方は、合気練功塾へお越し下さい。本物の合気を本質から懇切丁寧に教わる事が出来ます。 

by 宮崎