2018年 10月 の投稿一覧

合気練功 悩ましきこと

私事で恐縮だが、困っていることがある。
何についてかというとオンライン動画の編集である。

昨今の合気練功塾は「合気の原理」で繋がっている現象を断片的に捉えることを必要としていない。
以前にもここで述べたことだが、合気をかけるときに必要となる要素を説明するために合気の原理はつくられたと言ってよい。相手の「足裏」まで影響する皮膚の取り方ができているか、自分も「足裏」まで使うぐらいの全身性の操作ができているか。力のぶつかりが生じないような作用・反作用の感覚を「推進力」として受容できているか。などなど。確認をするための視点が原理である。

塾長からのお題として、あまりやっていない新しい接触の仕方とか留意点などの「意識するもの」があると無意識でできていた部分が消えてしまうことがある(または、自分の中で作りだした迷いであるとか‥)が、研究生さん方は接触時に足裏に影響する取り方はほぼ普通にされている。推進力のかけ方も同様である。練功の方向はますます繊細な方向で行われていて、例えば肩関節の反応の個人差を言及したり、妥当な操作を知覚できたorできなかったなど、感覚の領域を追求している。いちいち原理を意識して断片化は必要がないのである。
合気上げ(基本1系)も推進力で上げるというよりは、相手の力で上がってもらっているので、焦点は内部感覚の変化である。内部の変化は外部の動きに先立って生じているので外見上は何もない。むしろ、外見上に変化があると言うことは目的としている内部感覚の操作を飛び越えているので、合気の繋がりとしてはやり過ぎ。気功のごとく、足の下から何かしらを吸い上げて背骨を通じて中心に集めて頭頂部に抜ける、雑誌「秘伝」で見たあの矢印のイメージがだぶる。スイッチとしての動きはほんの数ミリである(センチ単位で動かすと相手に次ぎ足されてしまう)。武術を目的とするならば相手も力を出してきているので、そこまでの繊細な操作は必要ないと思われるが、確かめに来ている場合はやはり繊細に相手のカラダを感じる必要がある。

そんな数ミリの動き、または動きのない操作が合気練功の技術として大事で、その辺りを練習課題として行っているのである。この風景を材料にオンライン用の動画を弄るわけだが、はっきり言って観てて分からない。塾長もそれを分かっているので外側に見える動きで示演をしてくれているのだが、逆に望ましい入力になっていない感じも受ける。自分なりに言葉も尽くしているのだが、言語化とはかくもああ悩ましい。
オンライン動画に価値を見いだしていただいている方々の期待を裏切らないように、この方面も修練を積んで行かねばならないと思う毎週である。

とある塾生の雑記その5 「逆転の発想」

とある塾生の雑記その5 「逆転の発想」

合気練功塾には数々の逆転の発想があります。武道・武術・格闘技の経験者であればあるほど、今までの常識から脱却できずにもがき
苦しんでしまい、結果的に素人の方が早く上達してしまうなんてことが起こります。今回は、この逆転の発想についてお伝えします。

① 自立しない、相手に委ねる
合気練功塾では、接触面で互いに引っ張り引っ張られて、二人で一つの重心を形成するという関係性を重視します。最初は互いの踵が
浮くぐらい不安定にしてその感覚を体に染み込ませます。ほんの少し相手に委ねることで、無意識に相手が緊張して裏の力などが通り
やすくなります。私は暇を見つけると、ドアノブや机を相手に引っ張り引っ張られの状態を片手→5本指→3本指→2本指→1本指で
作り出し、この不安定な感覚を意念で再現できるように一人遊びを楽しんでいます。

② 相手に合気をかけない、まず自分にかける
これは塾長に手を握ってもらうと大変よくわかります。合気の体の状態で握られるとその瞬間から接触の柔らかさと相まって、優しく
何かが侵入して自分の体を変えてしまうような独特の感覚に襲われ、何も贖うことができなくなります。少しでも痛いとか不快だとか
を感じ取れば、拒否反応や逃避反応も起きるのでしょうが、その心地よさに思わず笑いがこみ上げてくることもあります。本当の施術
家の手とはこういうものなんだなとしみじみ思います。

③ 力で挙げない、勝手に上がる
合気上げには色々なやり方がありますが、合気練功塾のそれはほとんど力を必要とせず、ミリ単位の重心操作で相手が勝手に上がって
行きます。動画では挙げているように見えますが相手の手に追従して上がっているだけです。体が上がるためには「ここ」という一点
があり、最近の個人レッスンでこの深遠なる「ミリの世界」の一端を垣間見ることができましたが、微視的にそのポイントを探そうと
すると結局力みが生じてしまい、失敗してしまいます。あれこれ探すより自分で作るのが近道なのかなと思う今日この頃です。

合気練功 効果があったら意念です?

「それとって」我家で私がチョイチョイ言われる言葉である。「それって何だ?」
「ンッ!→」目線の先にはテレビのリモコン‥。情けなくも主語すら発するのが億劫らしい。しかも明らかに距離があなたの方が近いではないか!?…。
練功塾の皆様にはご理解いただけると思うのだが、私が幼少の頃はテレビにはリモコンという物はなかった。リモコンが登場してわざわざテレビ様の所まで出向くと言う煩わしさから解放されたことは革命的だったと思う。「余計な行動や動作を省くこと=便利=科学技術の発達」という図式が一般にスタートしたのだと思う。この流れはアイマーの定向進化説よろしくエスカレートしているように思えてならない。

話は変わる。
私も合気練功に興味を持つ皆様と同じように、いろいろな武術・武道に関する書物を読み漁った口である。その中の言葉で中国武術の「大展から緊奏に至る」や、ある剣術の「最大最小理論」に、もしかしたら関連するかもしれないニュアンスが塾長のレッスンに登場したので報告する。

合気練功の繋がりで相手のカラダがカツンと成ったところで、さらにゴム感覚で引いていくのだが、そのときのゴム感覚は合気のカラダ作りでいう四元・五元である。塾長曰く、とにかく全身で!最大限のゴムを引く感覚で「壁ごと引っ張る」「空間をかき混ぜる」くらいの壮大な意識の持ち方である。なかなか合気のカラダ作りと基本5系が結びつかなかったのだが、なるほどそのゴム感覚が相手に作用すれば「意念」といって良いわけだ。
しかし、外から見える動きは最小か、むしろ無い方がよい。もし外見上に動きがあると、ゴム感覚でつくったせっかくの張力が動きで消費されて相手を作用点とすることができないか、相手の関節が弛むことで繋がりが切れてしまう。よってカーテンとも繋がれるような細心の繊細さを伴って全身でブ~ンと引くのである。(オンライン動画の編集で最も悩ましいのが外から見えないこの内部感覚のはたらきで、これはもう体験・体感してもらうしかないと思っている。)合気練功も大きく動くエネルギーで状況をつくり、最大の効果を得るために外からは最小の動きとなる。「余計な動作は省かれ」て、その関係(繋がり)を減じることはないが、その状況を支える「技術」については最大の努力が払われていると言ったところだろうか。

冒頭の話のつづき。「ンッ!→」のあとの私の行動は、練習熱心にもゴム感覚で「ヨッコイショ」と腰を上げて「ハイよ…」とブツを手渡すである。これは相手の「ンッ→」という意念のオノマトペでゴムを引かれてコントロールされているのでしょうか?!

Tスタイル 〜合気練功の日々〜 「合気の3S」

Tスタイル 〜合気練功の日々〜
「合気の3S」

合気練功塾に入って1年が過ぎましたが、相変わらず暗中模索の日々が続いています。今回は、合気を習得するために捨て去るべき3つの点、即ち3S(捨てるのS)を私なりにまとめてみました。

①筋力を捨てる
もちろん、身体を動かすための最低限の筋力は必要です。しかし、私達が筋トレや武術の鍛錬などで普段使っている筋力は、合気の身体をつくる上では障壁となってしまうのです。筋力に頼らず、全身がゴムで繋がったような身体をつくる為の練功が必要です。

②経験を捨てる
合気に魅せられた人々の多くは、様々な武術を経験しています。そこでの身体操作や感覚を身に付けた人々は、時に「この場合はこうしなければならない。」と思いがちです。合気揚げをする時にも、その経験から身に付けた「癖」が出てしまいます。以前のブログでも書かせていただいたように、大切なのは相手が「あがりたい!」と感じる状況をいかにつくるかということです。そこに焦点を当てなければなりません。

③疑念を捨てる
練功塾では、意念ということをとても重要視しています。思ったり感じたりすることで、大きく身体を動かさなくても自分と相手の双方の身体が変化してきます。しかし、この意念のトレーニングは地味で時間もかかります。「そんなことで身体が変化するのか?」という疑念(疑う気持ち)が生まれてきます。こうした気持ちを抱いたまま練功をしても、得られるものは少ないでしょう。疑問はもっても、疑念は捨てるべきです。

個人レッスンで気匠庵(松原塾長のお宅)にうかがう際、勾配がきつい上り坂があります。私はその坂を「合気の坂」と勝手に名付けています。まるで、合気を習得する困難を表したかのような急な坂です。しかし、(得るものがとても多い)個人レッスンを終え、その坂を下る爽快感は格別!(考えてみれば下り坂なので楽なのは当然ですが・・・。)

もちろん練功しながら(身体を揺らしながら)歩いているのですが、先日下校途中の小学生と目があってしまいました!
驚かせてごめんなさい!変なおじさんではありませんよ。いや、ある意味、変なおじさんかも?