2018年 1月 の投稿一覧

コヒツジの会について

お詫び:先週分が公開できておりませんでした。楽しみにされていた方々、申し訳ありませんでした。

月に一度、合気練功研究院の院生が集まって研究を行う会がある。練功塾での塾生の指導や体験レッスンに来られた方の対応を行う院生が、自身の感覚の確認や指導技術を高めるために始まったものと聞く。メンバーは動画に出演されている面々である。その会の通称を「仔羊の会」と言う。名称理由には諸説あり、合気がかかった時の足腰の様子が産まれたての仔羊のようである(只年を喰って足腰が弱っているだけ?)というものや、とても若者とは言えないオジサン古羊の集まり、合気の感覚を求めて「さまよえる仔羊」、合気の感覚がわからなくて「迷える仔羊」などがある。前振りが長くなったが、先日この会に晴れて参加できる許可をいただいた。

この文章を書き、オンライン講座のテロップを記すにあたって、合気の感覚や現象を解析・解説することを試みてきた。その結果、合気のかかった状態は同時に多数の要素を内包していなければならないということが解ってきた。ただし説明するときは全てを同時に言語化するのは不可能なので、どこかに視点を置く必要がある。例えば「足裏感覚」に視点を置けば「足の裏の意識を持ちましょう」ということになる(気付いてない頃の私にとっては、これだけでも重大なアドバイスであった)が、合気のかかった状態は「裏の力」も「推進力」も必ず存在しそれだけでは不十分。木の一本一本を説明しても森を説明したことにならないのと同じである。

さて、仔羊の会での練功はある程度の操作では許してもらえず、きちんと合気の要素がそろわないと現象として表れてくれない。何がいけないのか一つ一つ考えていると要素は入れ替わりに欠けて、結局訳が分からなくなる。一つ一つを分解するような科学的な解析では同時に表現しきれないのである。自分と相手に集中しているとかえって解らなくなる。所謂「悟る」に似たことが本当に必要なのかもしれない。ある程度の共通理解を持つ同レベルの者で合気のかかった状態を並行共視して、思い浮かんだ(感じた)ことを共有共感することも感覚の正しさを確認できる方法かもしれない。
練功する仲間を共に眺めることも大切と思ったしだい。

大人の高尚な趣味として取り組むに、「察しろ!感じろ!」では同レベルの身体操法を習得に至らないので言葉を尽くすわけである。塾長も研究会で不足を覚悟で「理屈をこねます」と前置くわけだ。

「仔羊の会」のもう一つの意味を思い出した。院生の皆さんは合気練功塾の中ではにこやかなオジサン羊であるが、外ではいろいろな技術やステイタスを持たれている方々である。言うなれば羊の皮を被った狼な人たちなのだが、しおらしく仔羊と称しているのである。そのような方々との楽しい出会いもこのプロジェクトの重要な魅力である。

快適空間のこと

快適空間のこと

松原先生がしきりに言う「快の感覚」。合気練功は武術にも治療施術にも応用が可能な新しい身体操法を得る養生を目指すもの。HPにも同様の理念が記されている。「※ 合気練功はどなたでも学べますが、仲間の上達を喜べない方は入会をご遠慮いただいています。」これも快適空間を目指すが故。

生物学の研究では細胞数が1000個ほどの線虫C.elegans がモデル生物として使われる。この生き物はその後の多細胞生物の体作りの基を持っているとして研究材料に盛んに利用されている。さて、この線虫が餌であるバクテリアを食べるとき、ドーパミン放出のメカニズムが活性化する。神経伝達物質であるドーパミンは我々の脳をつくるニューロンでも産生されており、運動制御、認知、意欲、快感など、幅広い脳機能を制御している。多細胞生物のかなり初期の段階で快感は獲得されており、食べること、飲むこと、交配すること、つまり生き残るのに本質的なことへとわたしたちを動機づけるために存在しているといえる。

合気の原理は不快感を与えるとどうも上手くいかない。ヒトは基本的にストレスに対して敏感で、練功の場面で例を挙げると「いきなり」、「無理やり」、「固まる」などであろうか。反対に「じんわりと」、「須(すべか)らく」、「流れ続ける」は上手くいくワードと言うことかと思う。相手にストレスと感じられない継続的な弱い刺激を与え続けることで、その人のカラダは必然的にその重心のある所に移動していく。ヒトはその場にカチッと留まっているよりなんとなく緩緩と動いている方が自然で苦痛がない。この辺りが生物として本質的な部分と通じるのであろう。基本五系をその人にとって心地よい快の姿勢とすることができれば上手くいかない不快感を感じずにいけるだろう。意識と練功は柔らかくなってくる。

練功で固まっていた筋がほぐれて心地よくなれば練功塾は快適な空間。施術するがごとく相手を合気のカラダにして差し上げる。無理だと思っていた達人の世界がもしかしたらみんな(・・・)で会得できるかも…と思えばなんとロマンのある空間だろう。理解しにくい現象を解析・解説して、「あー!なるほど!」と言って頂けるならば私にとって快の感覚。快適空間の追求が自分のレベルアップになるとここにきて実感している。

不意打ちは相手がいなくなる武術的には有効な術ですが、現代社会での不意打ちは人間関係に残るので上手(わからんように?)に体現する必要がありますね。

合気練功塾 体験講座 &個人レッスンの感想(奈良県 70代 Yさん)

1月14日(日)に合気練功塾オンライン会員のYさん(奈良)がレッスンを受けにきてくれました。日頃からオンライン動画や私のミニ講座のブログをレポートにまとめていらっしゃるのですが、私から直接講義を一度も受けたことがないのにポイントを的確に押さえられていて、非常によくできており驚かされました。今回のレッスン翌日にもレポートを送っていただいたのですが、その理解力と記憶力の良さに脱帽しました。まさに”一を聞いて十を知る”ような方でした。(合気練功塾 塾長 松原辰典)

「合気練功塾 体験講座 &個人レッスンを受講して」

まずは、昨日の神谷先生つきっきりの懇切丁寧なるご指導と、松原塾長先生の微に入り細に入 った個人レッスンを賜り、厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

オンライン講座にて一通り動画を拝見し、ある程度の予備知識があったものの、 実際にご指導を賜り、その素晴らしさ、スゴさに感嘆、驚嘆し、喜びに浸たると共に、本当に会 得が可能かどうかの困難さも感じています。 と同時に、会社生活をリタイアしてから合氣道の稽古を再開して 11 年。 かなり熱心、集中しての稽古を自負するかたわら、大いなる疑問を抱き、合氣道の本質、真髄 に近づきたいとの強い思いで試行錯誤、孤軍奮闘(?)してきましたが、やっと求めるものに出会えたとの嬉しさをも感じています。

事前に「今までの考え方を 180 度、変えなければなりませんよ。」とは伺っていたが、まった くその通りであり、今までは、「相手の攻撃を、如何に捌き、如何に崩すか?」「崩すことが最優 先課題!」との思いであったが、そうではなく「まずは、相手と一体化する。相手の重心と自分 の重心をつなぐことが、最優先とのことを目の当たりにし、しかも実際に体感できたことが大き な収穫でありました。

勿論、今までも一体化、同化、統一体、対峙しない心、等々を合氣道の技を通じて会得してい くとの教えは知ってはいたものの、これほど明確に理論化、言語化し、「いつでも、どこでも、 誰にでも」対応、対処できること、そして、そのメソッド、道筋がはっきりと確立されているこ とに大いなる安心と喜びを感じるところであります。

一朝一夕には困難としても、もう迷うことなくこの道を探求して参ります。 改めまして、どうぞよろしくご指導下さいますようお願い申し上げます。

ありがとうございました。感謝します!

 

前肢のこと

直立二足歩行を行っているヒトは前肢が自由になっている。その進化の過程は諸説あり、面白いものでは水生類人猿説(人類は水中生活をしていて垂直の姿勢を獲得したというものだがマイナー)などというものがあるが、樹上生活の所作が準備段階にあったというものが有力である。(岡田(2014) サルからヒトへの進化―二足歩行の前段階Anthropol. Sci. (J-Ser.))

ヒトの前肢には危険な刺激から身を守るための反射が備わっている。例えば指先に鋭い刺激が加わると無意識に手指を引っ込める。脊髄から肘を曲げる屈筋に反応がいくので屈筋反射といわれる。拇指の付け根に圧が加わると前腕に力が入る現象や、赤子のモロー反射なども屈筋反射の一種。これらは樹上生活をしていたころの名残と捉えると合点がいく。基本五系の一系、二系で相手に手首を握られるとき相手の拇指の付け根に接触点を意識すると原理「裏の力」が通りやすい。少林寺拳法の小手抜で母指球を擦り合わせるように…なんていうのも頷ける。離せばいいのに離せないは落ちるからですかね。
私は練習で母指球を刺激されている時なんとなくテナガザルがイメージされてくる。テナガザルは長時間ぶら下がったままでも平気で、高速でブランキエーションをして枝から枝へ渡っていく。とても意識で握る瞬間をとらえているとは考えにくく、枝に触れた瞬間に無意識で反射的に握ってないと落下すると思われる。この様子とイメージがダブル。

手のひらはメンタル面とも密接で、緊張すると手に汗をかく。これも樹上生活で逃避するときの滑り止め効果と考えられる。冷たい手で触られるとキュッと筋肉が収縮する。合気の練功では筋の緊張があるということはここからの動きにぶつかりが生じる可能性があるわけで、無力化の妨げになる。薄味の練功では柔らかく触れてなるべく緊張感がない掌でアプローチしたい。皮膚を取るときに手の皮が突っ張っていると馴染みが悪いし、手指の骨が当たろうものならば相手に反応されてしまう(指がクイッはダメですよね)。塾長は「赤ちゃんに触れる時のように、そっと大事に。」とか「毛細血管が開いた赤い(温かい)合気の手で。」とおっしゃる。手のひらの皮のゆるみが「ゆるみ」の感覚に効果的かなと思っていたこともある。

私の経験では腕の力を入れずに推進力を理解できるようになると、ようやく接触点を忘れて相手の体内(筋の状態)を感じられる。自分に力みがあると自分も相手の内部も感じられない。ヒトは基本的に落ちる(倒れる)のを嫌う生き物であるようなのでゴムの感覚で入力すると重心にまつわる反射が引き起こせる。赤子に反射を起させないぐらいに柔らかく滑らかな前肢で練功を楽しみたい。

追記:合気のカラダの四元をやっている時は水生類人猿になっているかもしれない。