足裏感覚

合気練功 足裏の要素 その2

合気練功の原理1「足裏感覚」がある。
前回に引き続き私が確認できる足裏要素を認めていきたい。

②  「相手の足裏へ繋げる」
自分自身のカラダが足まで繋がったら、次は相手のカラダのこと。
武術経験のある方が相手のカラダを意識することは比較的ハードルが低いと思われる。
相手の接触を捉えて僅かに重心をずらせば相手は倒れたくない反応で踏ん張る。または肩に手を当てて下方向に圧を掛ければ当然姿勢保持をしようとして足で耐える。単純に足に繋がるはこれでもOK。しかし、接触時に相手が足底のどの辺で立っているのかを受容するのはそれなりの練功が必要であったように記憶する。
合気練功では接触時に僅かにずらすことを行う。この「僅かに」のところがミソで、相手が気付くようなずらし方では相手の脳のコントロール下にすぐに取り戻されてしまう。足が次がれて立ち直られるか、危ないなと感づかれたら力を抜いて体幹部に伝わらないようにする。反射スピードの勝負になっては凡人には勝ち目はない。
相手の意識に上らないように「僅かに」ずらすことと、「僅かに」を自分の操作として実感できるようにすることが、より多くの人と繋がれる練功の方向性と思う。

追記
最近、相手の意識に上らないという点で、「相手の心地よさ」というのも重要な要素であることを再確認することがあった。もう少し纏まったら報告しようと思う。

合気練功 足裏の要素まとめ 

足裏の要素のまとめ

合気練功の原理1「足裏感覚」がある。
合気練功塾の合気の繋がりを理解するために、基本・原理の視点での確認は有意であろうから、徒然に「足裏」に関係しそうなことから認めてみたい。

「足裏へ繋げる」その1
私にとって、相手の圧を使って自分の足に繋げることは難しい課題であった。
相手の圧に対して手・腕で反作用することは容易い。加減して圧を返し、つり合わせるのは練習すればできると思う。微妙に圧力を感じるとその刺激に対して反射的に筋が働いてしまい「手を離せばいいのに離せない」などの現象はこの辺が入り口であろう。微妙さ加減が習熟度ということになるのか。ただし、小器用に手で操作していると言うことは手で対応されると言うことで、全身で対応している訳ではないので、合気の繋がりとしてはダメである。
相手の姿勢保持に影響を及ぼすには、自分の足まで繋げて全身での操作が必要という階段になる。そこで相手の圧を足で感じると言うことになる。どこかに力みがあって固まった関節があると足までその圧は伝わってこないので、各関節を柔らかく…、となる。力が抜けてフニャフニャではもちろんいけないので、この柔らかさ加減がゴム感覚。
相手より大きな力を出してしまうと相手が気付いて対応することができるため、力加減は小さい方がよい。相手の出した力で足まで繋がらないといけないので、相手≧自分の力>0の関係。ここで、自分のカラダが繋がっていれば相手のカラダを繋げるだけなのでタイムラグは小さくなると思われる。
今回は「自分のカラダについて足裏へ繋げる」であった。次回は「相手の足裏へ繋げる」でいきたいと思う。

合気練功はいくつかの螺旋階段を同時に上るようなイメージである。あたかもDNAの二重螺旋の雰囲気である。同じ課題を他の要素との複合でさらに精度を上げていく作業である。以前も足裏感覚について記述したことがあるが、読み返してみると変化が感じられる。表現がどんどん難しくなるのも感じている。ぼちぼち確認作業を進めていきたいと思う。

合気練功 自らのこと

己こそ己の寄る辺、己を置きて誰に寄る辺ぞ…、清きも清かざるも自らの事なり。他の物に寄りて清むる事を得ず。

合気練功とは別の話。相手が掴みに来るところを、間を外して少し重心を基底面から外してやる。相手は立ち直ろうとするので力を出す。この力を利用して立ち直りが達成できないようにずらしつつ、相手の体幹に作用点が来るように誘導すれば技になると思われる。相手がどのような方向で立ち直りの力を発揮するかによっていくつかのパターンに分けることができて、技の名前がついているのであろう。この「間を外して」や「ずらしつつ」の部分が難しく、スピードとパワーが重要と考えていた次元からは、別世界の優れた技術だと思えた。
今、検めてこの手の技やその類の動画を見たときに、その多くは術者の意識が相手のカラダにあるように感じる。示演であるためであろうが、相手がどのように力を発揮してきたかによって各種の対応があるように見えてしまう。

合気練功の話。東京の練功倶楽部に出向く際に塾長から指導いただいた事なのだが、相手の接触を使って自分の足裏へ圧を感じると、おのずと相手の肩関節に圧が生じるようだ。今まで「放物線状に肩関節に圧をかけて…」と、自分が行っていたものは相手のカラダに意識があり、操作が分かってしまう(バレてしまう)。How to 物やマニュアル文化に慣れた身では、「どうすれば?」とすぐに念頭に浮かぶが、相手を何とかしようとする意図は外からも見て取れる動きに出てしまいやすい。

足を繋げる、足に繋げる、足が繋がる、足で繋がる、足と繋がる、足も繋がる。これらはすべて、原理の「足裏感覚」に集約される。合気の繋がりの結果、形成される足の動きや重心の位置のことで、合気の繋がりにおいて好ましい動きや重心の位置関係ができたかどうかを判断するために足裏の感覚を受容する必要があると解釈している。

センサーの部分も含めた合気のカラダで、何度も見直しを繰り返して深まっていくモノが合気練功であろう。要を成す術として考えると、やはり相手ではなく、自分の内の何かが重要に思える。各種アドバイスはいただけても、どの操作感覚が良いモノなのかは自分の感覚と照らし合わせて検証を重ねていくしかない。

冒頭の「聖句」。
所詮は同じかもしれないと期待するのだが、相手にちょっと寄りかかって繋がる部分は「ちょっと貸してね」で他のモノに寄っている。自立はしていない。ここの部分はもう少し腑に落ちる解釈ができるといいなと思う。

合気練功の1丁目1番地

東京で合気練功倶楽部を開始して2ヶ月がたった。合気練功のフォローアップをお手伝いすることが倶楽部の役割であるが、まさに基本原理と練功の階段が確認できた場面があった。いろいろなかたちで練功に取り組まれている方がいらっしゃるので参考になると思うし、自分もよく陥る部分であるので自戒の念も込めて記してみる。

合気の原理の1つ目に「足裏感覚」がある。相手から全身性の反発力を導き出すのに重要な感覚である。塾長の表現「足裏感覚は合気練功の1丁目1番地」。

練功の階段を確認してみる。練功塾に初めてみえた方は「足裏を感じられますか?」からスタートである。投げや崩しを使う武道系の方は足の裏のどこに重心がきているかを意識されているようだが、大半の参加者(特に若い方)は気にされたこともないようである。
自分の足裏はOKとして、腕や手のひらの接触点で相手の足裏を感じるには、意識して練功しなければ自信が持てる状況になれなかった。

次の段階では足裏からの反発を捉える事を行った。相手の反発を足(前足底)から来るように捉え続ける練功を行う。この段階では推進力についての理解が必要で、一方的に圧を加えているのではなく、圧を加えていながら圧を受けていることを受容する。合気が「力の無力化である」と定義すると相手の力が生じなくなったら合気の繋がりは切れてしまう。相手の力が足の裏からきていることを維持するのである。2つの事を同時に行うことになるので2週目の足裏の練功と思う。

次が、動きの中でも足裏からの推進力を途切れさせず維持できるかである。ここに至って2つのタスクがあるように思う。
一つは相手からの推進力で自分のカラダ(重心)を動かす。いわゆる自分が合気に掛かってしまうことであるが、のけ反ったり、乗りかかったり、力を抜いてしまったりしては動きの中で相手の足を捉え続けられなくなる。
もう一つは相手が動いていく(崩れていく)ときにずっと足の裏を捉え続けられるかである。相手が動い始めるとついつい崩れに任せてエイヤッとしてしまいがち。武術的にはそれでも用を成すのかもしれないが、より精緻な繋がりを目指すには捉え続けられた方が良いと思われる。繋がりを切らないためにどの体勢になっても足からの反発を生じさせ続けるのである。
この練功の入り口として適しているのが3元のカラダの練功だろう。空気(空間)を使って自分のカラダを動かして動きが解ったら、相手の手を使って自分の重心を動かす練功をする。そして、圧を加えて足裏からの推進力で自分のカラダを動かしていく。相手の力で自分の重心が動かせたら、そのエネルギーで相手の重心が動くようにすると基本5系(回旋)である。肝心なのは、どの位置に来ても接触点の圧が変化しないように「同調」を心がける事と思っている。これで3つの事を同時進行である。(…。自分のカラダのゴム感が維持できないと同調できないので4つ同時?) さて、この後は「裏の力」と「ゆるみ」か。

練功の階段を上がっても動きが異なるといつものことができなくなる。何か忘れ物をする。その忘れ物には自分ではなかなか気づけないものである。気づいていたら忘れないから。塾長や院生さんにはよく指摘されているが感謝である。練功仲間がいることに感謝である。

合気練功 足裏感覚のダイバーシティについて

多様性(ダイバーシティ)という言葉をよく耳にするようになった。「いろいろな考え、価値観を認めましょう」的な意味で世の中では使われているようだが、私にとっては高校の授業で扱う「生物の多様性と共通性」という単元が一番に頭脳に浮かぶ。

合気の原理「足裏感覚」は加えた圧で相手の全身性の反応を引き出す事である。相手が全身で反応したか、どのあたりで重心を支えているのかを感じる感覚についても、この原理の概念に含めている。
基本4系を例に私の圧の加え方を振り返りたいと思う。
練功で最初に突き当たるのが相手への圧の加え方である。相手の腕を押す時に力が大きすぎると反応するのは相手の腕である。腕に力が入っているということは抜くとこもできるわけで、抜かれることで繋がりが切れてしまう事もある。
また大きな力は相手に受容されてその力の方向に変化が可能で、結局こちらが押せなくなってしまう。柔らかい武道をされている方はこの反応が見事だと思う。東京の集中講座に参加された柔道をされているというフランスの方は大きな体格に似つかわしくなく、力の方向に変化して動いていくことが上手かった。女性を相手にするときも同様で、男性の力は最初から受け止めない(奥さんは受け止める気すらない。ある意味、仏の柔道家以上の反応!)。
従って、入力する力は弱い方が良いわけである。弱く加圧されると意識に上らない姿勢保持の反応で足まで繋がる事ができる。(ここから圧を高めて推進力を…となるのだが、今回はパス。)

難しいなと感じたのは自分が説明をする立場で、弱く侵入して支えさせたなとこちらが感じても、相手がその状況を感じられていないため理解してもらえない時である。想定して少し大きめの圧でつながろうとすると上記の反応で繋がれなくなる。まあ、自分の経験不足が原因なのだが、何を目的にするかだと思う。塾長からは足裏感覚を得るための練習と割り切って、「相手に「倒れないように頑張ってください」という声掛けが一番である」とアドバイスをもらった。足裏まで到達する感覚を得てから薄い圧で加圧する練功に進んだ方が遠回りにならないと思う。

足裏まで影響が及んだときに直ぐに姿勢保持の反応がコツンとくる方と、力を抜いているわけだはないのだけれどズブズブと後ろへ吸収されていく方とある。これはどこで支えるのかという多様性だけであるが、前足底で踏ん張るヒト、踵辺りで支えるヒト、その中間のヒトの3パターンがあるように思う。
特に踵辺りで支えるヒトは圧を加えていっても足の裏を前足底から踵までズーっと重心が移動していくので圧を加えている方にとってはズブズブと吸収されていく感じになるのである。じつは私が踵のパターンである。繋がりにくい、かけにくいとよく言われたものである。(私見であるが空手などの打撃系をされている方に多いような気がします。)
また最初から踵でつながっていて、足へ来てからコツンの変化がない方もおられた。変化がないので繋がったかどうかを気付けない場合がある。
ゆっくりとした柔らかい練習で足裏感覚を得ようとするから前足底から踵へ移動という変化があり得るわけだが、瞬間的な場合はおそらくアキレス腱の反射によって前足底でつながる事になると思われる。

さてWikipediaでは、 多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる とある。二足歩行を行っている以上、誰しも倒れないための反射を持っており、それを想定して圧を加えて、カツンとくるところが必ずあるというのが共通性であろう。

追い呟:酔拳や地趙拳はそれを捨て去るためにあのような拳形なのか?