基本4系

合気練功 足裏感覚のダイバーシティについて

多様性(ダイバーシティ)という言葉をよく耳にするようになった。「いろいろな考え、価値観を認めましょう」的な意味で世の中では使われているようだが、私にとっては高校の授業で扱う「生物の多様性と共通性」という単元が一番に頭脳に浮かぶ。

合気の原理「足裏感覚」は加えた圧で相手の全身性の反応を引き出す事である。相手が全身で反応したか、どのあたりで重心を支えているのかを感じる感覚についても、この原理の概念に含めている。
基本4系を例に私の圧の加え方を振り返りたいと思う。
練功で最初に突き当たるのが相手への圧の加え方である。相手の腕を押す時に力が大きすぎると反応するのは相手の腕である。腕に力が入っているということは抜くとこもできるわけで、抜かれることで繋がりが切れてしまう事もある。
また大きな力は相手に受容されてその力の方向に変化が可能で、結局こちらが押せなくなってしまう。柔らかい武道をされている方はこの反応が見事だと思う。東京の集中講座に参加された柔道をされているというフランスの方は大きな体格に似つかわしくなく、力の方向に変化して動いていくことが上手かった。女性を相手にするときも同様で、男性の力は最初から受け止めない(奥さんは受け止める気すらない。ある意味、仏の柔道家以上の反応!)。
従って、入力する力は弱い方が良いわけである。弱く加圧されると意識に上らない姿勢保持の反応で足まで繋がる事ができる。(ここから圧を高めて推進力を…となるのだが、今回はパス。)

難しいなと感じたのは自分が説明をする立場で、弱く侵入して支えさせたなとこちらが感じても、相手がその状況を感じられていないため理解してもらえない時である。想定して少し大きめの圧でつながろうとすると上記の反応で繋がれなくなる。まあ、自分の経験不足が原因なのだが、何を目的にするかだと思う。塾長からは足裏感覚を得るための練習と割り切って、「相手に「倒れないように頑張ってください」という声掛けが一番である」とアドバイスをもらった。足裏まで到達する感覚を得てから薄い圧で加圧する練功に進んだ方が遠回りにならないと思う。

足裏まで影響が及んだときに直ぐに姿勢保持の反応がコツンとくる方と、力を抜いているわけだはないのだけれどズブズブと後ろへ吸収されていく方とある。これはどこで支えるのかという多様性だけであるが、前足底で踏ん張るヒト、踵辺りで支えるヒト、その中間のヒトの3パターンがあるように思う。
特に踵辺りで支えるヒトは圧を加えていっても足の裏を前足底から踵までズーっと重心が移動していくので圧を加えている方にとってはズブズブと吸収されていく感じになるのである。じつは私が踵のパターンである。繋がりにくい、かけにくいとよく言われたものである。(私見であるが空手などの打撃系をされている方に多いような気がします。)
また最初から踵でつながっていて、足へ来てからコツンの変化がない方もおられた。変化がないので繋がったかどうかを気付けない場合がある。
ゆっくりとした柔らかい練習で足裏感覚を得ようとするから前足底から踵へ移動という変化があり得るわけだが、瞬間的な場合はおそらくアキレス腱の反射によって前足底でつながる事になると思われる。

さてWikipediaでは、 多様性(たようせい)とは、幅広く性質の異なる群が存在すること。 性質に類似性のある群が形成される点が特徴で、単純に「いろいろある」こととは異なる とある。二足歩行を行っている以上、誰しも倒れないための反射を持っており、それを想定して圧を加えて、カツンとくるところが必ずあるというのが共通性であろう。

追い呟:酔拳や地趙拳はそれを捨て去るためにあのような拳形なのか?

合気練功 の 虚構 ✖ 嘘 = 真?

「合気練功は嘘なんです。」
木曜日の晩に行われる合気練功研究会で、ある研究生が基本4系について質問をしたときに塾長が言い放った言葉である。「えッ?!」その場に居合わせた研究生一同は言葉を失った。

質問の内容はこうである。4系の練功では、相手に圧を加えた後に相手が姿勢保持をしようと押し返してくる反発を使ってカラダを繋げる。そして相手と自分の重心の均衡点を迎えたときに、まずはその内圧を使って自分の重心を動かしてみる練功を行う。現象としては自分が後ろへ跳び下がっていくのだが、この時、カラダのゴム感覚が切れずに溜まった内圧が漏れることなく移動できれば、ピョン、ピョンぴょん…と下がっていくことができる(動画などご覧になったことがあると思います)。この後ろへピョンピョンが「上手くできないのです。どうしたらよいのでしょう?」というものだった。
その返答が
「合気は嘘なのです。」
であった。
「!?」、「??」の研究生らと塾長の間でいくつかの応答がやり取りされたのだが、おそらく以下のような事が塾長の心意と思われる。
合気練功は自分の要素と相手の要素が存在するが、今回は自分自身のカラダや感覚のつくり方・持っていき方についてである。塾長に4系をかけられると吹っ飛ばされたように後ろへ飛び下がる。これは両者で作り出したヒトの重心を移動させることができるほどのエネルギーが、漏れなく運動エネルギーになったためである。しかし我々が行うと、いくつもの関節で繋がりが切れて力を逃してしまうので、弾力性を失って吹っ飛ぶほどの現象は起きにくい。
そこでまずは自分のカラダのエネルギーロスする部分を少なくする練功をしようということである。上記に「相手からの反発を使ってカラダを繋げる」としたが、望ましくは自分のカラダは最初から繋がっていて、しかも内部感覚が少しの刺激で重心移動できるほどに高まっている方がよい。
そこを作るために自分に嘘をついて騙す練功である。相手と触れていない(虚構)状態であっても、自分の感覚ををだまして(嘘)、一本の張り(内圧)を持ったカラダを練功すれば、触れた瞬間に相手の重心を移動させる圧をもつ合気のカラダ(真)であると私は理解した。

従って、塾長としては「どうしたら?」の回答として、その形だけを模倣してピョコぴょこ跳びはねてみても、内部感覚を伴わなければこの段階の合気練功としてはあまり意味がないと伝えたかったのではないか。
生じた内圧で自分の重心を上手く動かすことができるのならば、相手の重心を動かすコツも早く気付くことができる。これが次の練功。結果、4系では相手が自ら作り出した圧で相手が吹っ飛ぶことになる。

有るもの(プラス)を無い(マイナス)とシャットアウトすれば無いこととなって、出会うことすらできない。無いものをさも有るかのように演じてもそれはやはり嘘である。有るかもしれないと思って探し続けるところがトレジャーハントのような大人のロマンと贅沢。

でも、いきなり「嘘です」はインパクト抜群で吹っ飛びますよ。

合気練功 ファーストコンタクトについて

合気練功塾の様子2

最近、私が気になっている事が相手と接触する瞬間である。
私から触れるときではなく、どなたかの相手(受け)をするときにどこまで侵入されたかを感じる事が癖のようになっている。

合気練功塾においては相手の足裏まで影響するように接触して圧を加えていくことが当然のように行われている。それは2系(下方向への変化)で下に圧を加えながら皮膚操作で前足底に重心が来るようにする練習を繰り返してきた結果であろう。しかし2系は足を捉えるにはよいが、年齢を重ねた身体には「支えたくない…。」「しゃがみたくない!」などの別の要素があったり、なかったりするので練功が難しくなる。(言ってるそばから今日は腰が痛いな…)
そこで塾長は4系に練習の重点を変えたのである。4系では相手の後ろへ加圧していくわけだが、何かにぶつかったとき倒れないようにバランスを取る動きは特に抵抗感がない。よって姿勢保持のはたらきを導き出すには難しい要素がない。なるほど!
実は4系のとき下方向へのベクトルはない方が良いようだ。上から下への皮膚操作が入ってくると肘、肩に緊張が生じて繋がりが肩で切れてしまいやすい。これは当然のことで、普段の生活で「はいよ。」と物を手に乗せられたとき、まずは腕で受け止めて、毎回全身で支えることはしない。普通の動きが生じてしまうのだ。単純に水平に加圧していき「倒れたくない」と姿勢保持のはたらきが生じるようにさせてやればよいのだが、いかんせん下方向の操作が加わってないので足へ影響しているイメージが持てないようだ。

そんな時、私は接触点の皮膚を上にずらして「下へ」を相殺し、自分のカラダがつながりやすい状態にして積極的に自分から合気にかかってしまう。塾長がよく言う「まずは自分が合気にかかってしまう」を実践している。するとお互いに弾力感があってこちらからもいけるなという感覚になる。自分の練功をさせてもらっているわけだ。
エラそうな表現になって恐縮だが、まずもって腕の緊張を誘うようなドンとした圧の加え方は腕だけの対応になり、私の「動かないぞ!!」の部分を引き起こして終了。(合気練功で私の関節が曲がってしまうぐらいの力は論外。わたしが吹っ飛ぶぐらいの圧ならば合気練功ではないところで素晴らしい)
接触に下方向への要素が含まれており、私の繋がりが肩で切れるのも腕だけの対応となるのでよろしくないが、こちらの微調整で練習は継続可能な感じである。

予期せず、練功中にこちらの調整の必要がなく侵入されると「おぉ♪(ノ)‘∀`(ヾ)!」となる(塾長や院生は別です)。最近、その瞬間が期待とともに気になっている。
追記:先日、塾生のある方に、明らかに下方向へのベクトルが含まれる触れられ方をされたのだが、意もない、あまりにも柔らかい触れ方で容易に足の指まで侵入されてしまった。もう一度やられてみたい。