2018年 の投稿一覧

合気練功 共感力と多様性

合気練功の主眼は「相手と繋がる」ことであろう。
「繋がっている」状況を理解できればようやくそこに至る練功のスタートが切れる。
でもその繋がっている状況を感じる・理解するところから難しい。まずは繋がりのオン・オフから、大きな変化を感じてもらえればと思う。本当は案配良く・ちょうど良くの操作感覚でないと上手く繋がれないヒトが出てくるが、グレーゾーンの感覚はなかなか理解も実践も難しい。
練功塾では塾長の持つ「繋がるための勘所」を幾つもの表現でアドバイスされている。分かるヒトにだけ分かればよいと言うことではなく、皆さんに広くこの感覚を味わってもらいたいと言う考えからであろう。各言、このブログも「表現の多様性から気づいてもらうことができれば」を目的にスタートしたのであった。

先日、合気練功塾にブラジルの方が入会された。当日の朝、塾長から「神さん、相手を頼むね。」と言われた。ではまず背骨揺らしから…と説明を始めたのだが、日本語が通じにくい(通じないに近い)。まあ、今までもメキシコやカナダからの留学生を武術指導した経験もあるし脳味噌を切り替えてと、英単語の羅列の説明(けっして英語で説明したわけではないですよ)を開始したのだが、これがいけなかった。その方はスペイン語、ポルトガル語が母国語であり英語は分からないのである。英語でコミュニケーションをすれば…と最大限の努力のつもりだったのだが、私の先入観が相手にとって失礼な行為になってしまった。
「私にとっては、あなたはアジア人だ(と言っていたと思う)。」という言葉で気づかされた。
「分かりました。日本語でいきましょう。」
ひらがなとその方なりのローマ字筆談を交えて、「ねじり、NEDIRI」とか書きながら説明をおこなった。その方曰く、英語のローマ字ではないのでNEZIRI、NEJIRIではないのだそうだ。

共通言語を持っていてもその感覚を伝えることに苦労しているのに、感覚の説明をどうしようかと、内心不安を感じながら「足裏感覚」の練功を始めた。相手の触れている圧を足へ繋げる「これは腕、これは足。」と違いを示しながら感じてもらったところ「ああ、分かった」と。でも、やってみましょうとなるとやはり何か過不足がある。その部分を説明するに、またもや言葉の壁。ここで残念ながら私が東京の練功倶楽部へ向かう時間となったので、これまでとなったのだが、練習の最中に「あなたは良い先生だ」とも。ありがたや。何かいろいろな意味で勉強となった1時間であった。

コミュニケーションには一方的ではない双方の歩み寄りが必要である。合気の繋がりと同じと言って良いと思う。相手が忖度しないとならない繋がりは純度がまだまだであろう。よかれと思っても相手のカラダの状況は刻々と変化する。全部含めて繋がる感覚の共有ができれば、下手に共通言語があるもの同士よりも、「にやり」と意思疎通できる練功が楽しめるかもしれない。

年内のブログのアップは今回がラストです。おつきあいいただきありがとうございました。
良い繋がりを目指して修練してまいります。
皆様、良いお年をお迎えください。

とある塾生の雑記 その7

とある塾生の雑記その7 「ここ」とは?

最近、練功塾では合気がかかる瞬間の「ここ」というポイントを如何に早く作ることができるかを練功しています。今まで合気練功のための修練体系である合気のカラダや合気の原理を通して一つ一つ過程を確認しながら合気の疑似体験していたものを、本当の合気にするための一つの大きな転換点とも言えます。今回は、この「ここ」についてお伝えします。

柔らかな接触で相手の皮膚の遊びをとり、相手に察知されないレベル、あるいはもし仮に察知されても不快な感覚を与えないレベルの弱い刺激(裏の力)で相手の関節を詰め、筋肉を緊張させて一つの塊にし、二人で一つの重心を作るポイントが「ここ」です。この時接触点を通して私自身も合気がかかった状態になっているため、「ここ」とは自分に合気がかかるポイントとも言えます。

練功法は、ドアの取手に指をかけ体を繋げて背中のゴムで後ろに引っぱられながらも踵をあげます。「ここ」の感覚が身につけば踵をあげずに足の指で大地をしっかりと掴み重心を数ミリ前に持ってきます。今までは、相手を上げようとか下げようとか、手元の操作に感けて腕に余計な力が入ったり、腕だけでその関係性を作ろうとしてしまいがちだったのですが、接触した相手の力を借りながら背中と足を使って自分自身に合気をかければ、結果的に相手にも合気がかかります。合気の妙技の秘訣が「ここ」に隠されているのかなと思う次第です。

Tスタイル 〜合気練功の日々〜 「マルチタスクからシングルタスクに」

Tスタイル 〜合気練功の日々〜
「マルチタスクからシングルタスクに」

木曜日の夜に行われる練功研究会(別名:バットマンの会)では、合気上げ(揚げ)を繰り返し稽古しています。松原塾長は、合気上げの重要性を何度も強調されています。合気上げができることが、合気開眼のゴールではなくスタートであるとも考えておられるようです。

毎回、色々な観点からアドバイスをしていただくのですが、なかなか上手くいきません。悩みながらある本を読んでいると、こんな事が書かれていました。

「マルチタスクは非効率」
合気上げを例に取ると、稽古の際、接触面に圧を加える・足裏を捉える・推進力を発生させる・・・等、数多くの事を同時に意識してしまいます。そうすると、意識を散らしてしまい中途半端な動きになってしまいます。これがマルチタスクの状態です。ここからシングルタスクの状態にするためには、同じ動きを何度も繰り返し行い、無意識のうちにできるようにすること、つまり自動化することが必要だということです。

うーん・・・。つまり、ポイントを押さえながら数をこなすということでしょうか。ただ、対練(相手をつけての練習)を毎日行うことは難しいですね。後は、個人練功の工夫でしょうか。

個人練功の工夫と言えば、前回のブログで書いた、練功の為に私が手に入れたアイテムとは・・・?「バランスボード」です。あえて身体を不安定な状態にすることで、相手とひとつの重心をつくり出すことを疑似体験できるのでは・・・と考えたからです。すぐに効果があがるとは考えてはいませんが、とりあえず継続して取り組んでいこうと思っています。

皆さん、シングルタスクのバットマンを目指して共にがんばりましょう!!そのうち、空も飛べるようになるかも⁈

アマゾンでマント買わなきゃ!
TAKA

合気練功 Touch as can . (タッチ アズ キャン)

昨今の合気の繋がりは基本1系(合気上げ)である。本当はどこの部位でもどのような接触でも触れたらすぐに繋がることが理想なのだが、塾生が(院生も)なかなか十分な繋がりの状況を会得できないので、4段階(ちょっと前までは3段階)のプロセスでかれこれ4ヶ月取り組んでいる。その第1段階は「肩に圧をかけて」である。これは今までのブログでも何度かしたためているテーマである。

相手が手首を握ってくると言うことは、実際の武術・護身ではあまり臨まれる事がないパターンである。ということは実践のひな形を練習したいのではなく、他の目的のためにあると私は考えている。私の練功では相手のカラダのパフォーマンスが察知できるということが大きな意義と思っている。結局、握ってきた腕を押したり引いたりしても肩関節が弛んでしまうと体幹部へ操作が伝わっていかないのである。相手の肩関節が体幹部と連動して、手先から肘・肩へ操作が伝わる状況にあることを感覚としてキャッチできることにあった。

練功塾での解説に、「放物線を描くようにまず上への圧をかけて…」とあった。その後、上への圧を消さないように手前に引いていくと肩関節は比較的繋がったまま体幹が引き出せる。体幹が引き出せると言うことは重心を引き出せたと言うことである。
この第1段階が上手くいかない時を分析してみた。
上へそして手前へと操作に角ができると繋がらないときがある。やはり肩関節に個性があり、人によっては上への圧が無効になってしまうようだ。放物線状に滑らかに曲線で持って行くと、肩関節がカツンと引っかかるところが見出せるのだと思う。でも最初から放物線状には難しく、上 → 手前になってしまうのだろう。
次に、上への圧が消えてしまうときは繋がらない。院生に言わせると繋がれないという表現が近いらしい。放物線状の操作が本当に放物線になってしまうとよろしくない。操作としては放物線の一部分が必要であるので本当に降りてしまってはいけないのである(理系の方ならば「とある塾生の雑記6」にある無理関数(根号を含む関数曲線)という表現の方がピンと来るのかもしれませんね)。この上への圧が抜けるのは自分の足が繋がっていないためと思われる。足で圧を受けていないので肩関節への上への圧が消えてしまうのだろう。
いずれにせよ腕での操作を行うと失敗のリスクは高くなると思う。足まで繋がった合気のカラダで「背骨揺らし」のようにカラダを使って放物線を描けるようにいきたい。相手の肩関節が力を発揮しやすい状態を維持することで体幹部が繋がるという状況ができているので、「力任せ・無理がある・違和感がある・馴染まない」などの操作は目的達成にならないのである。

今回の表題はランカシャースタイルレスリング(CACC)のことではなく、「触れたら繋がる」をイメージしてみた。塾長の示演のようにスッと、ヒョイッとネチッと繋がりたいモノである。

合気練功 自らのこと

己こそ己の寄る辺、己を置きて誰に寄る辺ぞ…、清きも清かざるも自らの事なり。他の物に寄りて清むる事を得ず。

合気練功とは別の話。相手が掴みに来るところを、間を外して少し重心を基底面から外してやる。相手は立ち直ろうとするので力を出す。この力を利用して立ち直りが達成できないようにずらしつつ、相手の体幹に作用点が来るように誘導すれば技になると思われる。相手がどのような方向で立ち直りの力を発揮するかによっていくつかのパターンに分けることができて、技の名前がついているのであろう。この「間を外して」や「ずらしつつ」の部分が難しく、スピードとパワーが重要と考えていた次元からは、別世界の優れた技術だと思えた。
今、検めてこの手の技やその類の動画を見たときに、その多くは術者の意識が相手のカラダにあるように感じる。示演であるためであろうが、相手がどのように力を発揮してきたかによって各種の対応があるように見えてしまう。

合気練功の話。東京の練功倶楽部に出向く際に塾長から指導いただいた事なのだが、相手の接触を使って自分の足裏へ圧を感じると、おのずと相手の肩関節に圧が生じるようだ。今まで「放物線状に肩関節に圧をかけて…」と、自分が行っていたものは相手のカラダに意識があり、操作が分かってしまう(バレてしまう)。How to 物やマニュアル文化に慣れた身では、「どうすれば?」とすぐに念頭に浮かぶが、相手を何とかしようとする意図は外からも見て取れる動きに出てしまいやすい。

足を繋げる、足に繋げる、足が繋がる、足で繋がる、足と繋がる、足も繋がる。これらはすべて、原理の「足裏感覚」に集約される。合気の繋がりの結果、形成される足の動きや重心の位置のことで、合気の繋がりにおいて好ましい動きや重心の位置関係ができたかどうかを判断するために足裏の感覚を受容する必要があると解釈している。

センサーの部分も含めた合気のカラダで、何度も見直しを繰り返して深まっていくモノが合気練功であろう。要を成す術として考えると、やはり相手ではなく、自分の内の何かが重要に思える。各種アドバイスはいただけても、どの操作感覚が良いモノなのかは自分の感覚と照らし合わせて検証を重ねていくしかない。

冒頭の「聖句」。
所詮は同じかもしれないと期待するのだが、相手にちょっと寄りかかって繋がる部分は「ちょっと貸してね」で他のモノに寄っている。自立はしていない。ここの部分はもう少し腑に落ちる解釈ができるといいなと思う。